« 2010年12月 | トップページ | 2011年6月 »

2011年2月

2011年2月23日 (水)

二ヶ月

義父のすい臓にガンがあることがわかったのが、去年のクリスマス前。
告知はちょうど義父の誕生日という、"とんでもない誕生日プレゼント"になってしまいましたが。

わずか二ヶ月の闘病の末、あまり痛みに苦しむようなこともなく、眠るように旅立っていってしまいました。
享年63。
享年ということは、実年齢で61ということで、あまりにも早すぎる旅立ちに、皆ため息ばかりという感じです。

余命3ヶ月を宣告されてから、義妹は予定を大幅に早めて、家族のみでの結婚式を、先週末、したばかりでした。

その頃には足のむくみがひどく、むくみのためにくるぶしの毛穴から体液がしみ出す、尋常ではない状態になっていましたが。
介護ケア用の7Eサイズという幅広・甲高の靴を履いて、バージンロードを、義父は車椅子から立ち上がって、杖を使いながらも、自分の足で歩きました。
相棒はカメラを回しながら、黙って泣いていました。
義母も、義理の叔父夫婦も、みんなハンカチを目にあてていました。
義妹は、ウェディングドレスの裾を踏まないように必死で、私はスチールのカメラで撮るのに必死でしたが(笑)

その頃はまだ言葉のやりとりも普通にできたのに、一週間もたたずに感染症で言葉を発するのが大変になり(痰が絡むので)、呼吸がしんどくなり、意思疎通が難しくなり。

それでも、一旦は持ち直して、月曜日には、
「おとうさん、おはようございます。○○です!来ましたよ」
と呼びかけたら、はっきりと
「おはようさん。」
って、私を目でとらえて言ってくれたので、ひょっとしてこのまま持ちこたえてくれるんじゃないかと、かなり思っていたのですが。

翌日、やはり発熱、呼びかけても薄目が動く程度で、状態は少しずつ悪くなっていく一方に。

ずっと病院に詰めている義母と、仕事のあとの夜の付き添いで寝不足の義妹とを心配して、義妹のお婿さん(義弟になるのか)が、1日仕事を休んで昼間の付き添いに入ってくれました。

私は家の片付けやら、洗濯やら、していたのですが。
午後、血圧が下がってきたという知らせに病院へ急行。

義妹が胃痛で二つ折りになりながら早退してきて、その後、相棒が車で2時間後に到着。

交代でご飯して夜に備えよう、ということで、先にでた義妹夫婦と入れ替わりで、義母・相棒・私で、お蕎麦屋さんへ。
「カキフライ」に心惹かれた義母が、それを頼んだところで、携帯に容態急変の一報。
急ぎ戻った病室での第一声が、
「あんた、カキフライ頼んだとこやったのに!」
義母らしい(笑)
泣いていた義妹が殺気を放ったらしいです(笑)

とりあえずは間に合ったのですが、そのまま、呼びかけに応えることなく、眠るように静かに旅立ってしまいました。

茶目っ気があって、自分のことを「ガンジー(癌爺)」と称するなど、病を得ても、深刻な様子をあまり見せないようにしていた義父は、その実、神経が細かく、繊細な人柄だったのでは、と思います。まだまだ時間をかけてゆっくりつきあっていくつもりだったので、そういった機会が失われたのが本当に残念でなりません。

苦労の多かったという義父、ゆっくりのんびり、お酒でも飲んで、休んで下さい。

夜のお守りをしながらなので、長くなってしまいました。
とりあえず、ご心配なく。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2010年12月 | トップページ | 2011年6月 »